東京地方裁判所 昭和25年(ワ)6830号 判決
原告 宇賀神正作 外一名
被告 東武鉄道株式会社
一、主 文
被告は原告宇賀神正作に対し金十二万七千二百九十円、原告宇賀神スイに対し金五万円及び夫々之に対する昭和二十五年十一月二十七日から完済迄年五分の割合の金員を支払え。
原告その余の請求は之を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は原告宇賀神正作に於て金四万円、原告宇賀神スイに於て金一万五千円の担保を供するときは原告等勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告は原告宇賀神正作に対し金三十七万七千二百九十円、原告宇賀神スイに対し金三十万円及び夫々之に対する昭和二十五年十一月二十七日から完済迄年五分の割合の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、被告は東武電車を経営する会社であり、池袋駅より成増方面に通ずる東上線はその経営路線の一つであつて、その軌道施設は被告の占有所有にかかるものである。訴外宇賀神慶子は原告正作及びその妻たる原告スイの三女で板橋第七小学校一年生(当時満七年六月)であつたが、昭和二十四年十一月二十五日午前八時五十七分頃前記東上線大山駅から東方(池袋方面)へ約二百二十米の地点の東上線軌道上の踏切道を南より北に学友三名と共に横断しようとした際、東上線上板橋駅発池袋行上り第四三四号電車(前車六三二四八号、後車六三二〇五号二輛連結)が東進してきて、同電車の前部右側を慶子に衝突させ、同人を東方に約十米跳ね飛ばし、因つて脳髄損傷により約五時間後に同人を死亡させたのである。
元来被害者慶子が通行していた前記踏切を通過する道路は、川越街道(池袋より川越へ通ずる国道)と板橋方面より東上線大山駅へ通ずるいわゆるピース道路(幅員約七米半のコンクリート道路)とをつなぐ、その附近に於ては南北に通ずる最大の道路(幅員約七米半)であつて、附近に板橋第七小学校が存在する関係から多くの学童が通校に利用する外、一般の人車馬の交通も亦頻繁であつた(本件事故発生当時交通量の多かつたことは、その翌年の昭和二十五年四月、右の道路の東方に右道路と平行して東京都第四建設事務所が幅員二十二米の道路を敷設したことに徴しても明らかである)。しかるに右踏切から約百米西の地点より大山駅にかけては軌道が相当の曲線をして居り右踏切の見透しは不良の状況であつたから、電車軌道の占有者にして且所有者たる被告としては右踏切に踏切番若くは遮断機又は通行人の注意を喚起すべき警報機その他不慮の事故を防止するのに充分な施設を為すべきに拘らず、当時被告は右踏切に何らかくの如き施設をなさず放置していたものであつて(被告は本件発生後始めて右踏切に警報機を設置した)、被害者慶子は右踏切横断の際、池袋駅発成増行下り電車の通過を確認したのであるが、右電車の騒音の為、すれ違いに本件上り電車の接近し来るのを覚知することができず、他に通過電車はないと考え踏切軌道上に立入つたところ、前記の如き不慮の災禍に遭遇したものであつてこれ全く被告が右踏切に前記の如き事故防止に必要なる設備をなさず、即ち被告の占有所有せる、土地の工作物たる電車軌道の設置又は保存に瑕疵ありしが為に生じたものであるから、被告は民法第七百十七条により、よつて原告等の被つた損害を賠償すべき責任がある。
而して原告正作は右慶子の事故の為医療費八千六百円、葬儀に関する諸費用六万八千六百九十円、合計金七万七千二百九十円の支出を余儀なくせられ、同額の財産上の損害を被つた。なお原告宇賀神正作は海産物商を営み現在の家屋並にその敷地を所有せる外、他にも資産を有し相当の生活をしているものであり、亡慶子は正作が妻スイとの間に有する三人の子女(長女節子二十二歳、次女幸子十五歳、並に亡慶子)の一人であり、就中慶子は末子であつた関係上、原告両名に於ても殊の外寵愛しその成育を楽しみにしていたものであるが、本件事故により突如として手中の玉を失い、原告両名は筆紙に尽し難い悲しみに陥つたのであり、その精神上の損害は甚大であつて、被告は原告等に対して夫々慰藉料として金三十万円を支払う義務がある。
よつて被告に対し、原告正作は、右財産上の損害金並に慰藉料合計金三十七万七千二百九十円、原告スイは慰藉料金三十万円及び各之に対する本件訴状送達の翌日の昭和二十五年十一月二十七日から完済迄、民法所定年五分の割合の遅延損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだと述べ、被告の主張事実中、(二)の内の地方鉄道建設規程第二十一条第三項に被告の主張するような規定のあること、(三)の内、慶子があわてて踏切に立入つたこと、及び学校長の監督不十分なる点を除く事実関係は認めるが、その余の事実は之を争うと述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め、答弁として原告等の主張事実中、冒頭より宇賀神慶子が死亡するに至つたまでの事実は認める。但し踏切の所在地点は大山駅より約三百十九米の個所である。慶子の通行していた右踏切を通過する道路が、原告主張の如き位置にあつて、その主張の如く南北に通ずる最大の道路であること、当時被告が右踏切に踏切番人の設置、遮断機、警報機等の設備をなさず本件事故発生後警報機を設置したこと、附近に板橋第七小学校の存すること及び原告主張の頃東京都第四建設事務所が原告主張の如き道路を敷設したこと、右踏切から約百米西より大山駅にかけて軌道が曲線をなしていることは認めるが、その余の原告主張事実は之を争う。
(一) 原告は土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があつたとゆうが、民法第七百十七条に所謂「土地の工作物」とは、土地に定著して構築されたもの、又は、土地そのものに工作を加えた設備を言い、いずれも純然たる物的施設であつて人工施設を含まないものである。保安設備たる踏切の警標、警報機、踏切門扉等夫れ自体が土地に定著せる物的施設であることには間違いはないが、踏切門扉の如く、単に物的設備だけでは足らず、看手の配置という人的施設と相俟ち初めて保安設備の目的を達し得るようなものは「土地の工作物」には該当しない。従つてかかる保安設備を施設してなかつたとしても、土地の工作物の設置又は保存に瑕疵あるものとゆうことはできない。
(二) 右の如き踏切の保安設備が土地の工作物にあたるとしても、本件踏切についてはその設置又は保存に何等の瑕疵はない。一体踏切に対する保安設備の設置に関しては、地方鉄道建設規程第二十一条第三項に「交通頻繁にして展望不良なる踏切道には門扉その他相当の保安設備をなすべし」と規定されてはいるが保安設備をなすべき条件である「交通頻繁にして展望不良」であることを認定すべき具体的標準については、同規程には勿論他の法令にも何等規定は存しない。踏切はその保安設備施設状態により、第一種踏切(昼夜連続して看手を配置するもの)第二種踏切(一定時間中看手を配置するもの)第三種踏切(閃光式踏切警報機を設置して無看手のもの)第四種踏切(その他のもの)の四種類に分類されているが、いかなる踏切を第何種の踏切にするかについては明確に規定されたものはなく、専ら鉄道企業者が交通量の繁疎、展望の良否、その他諸般の事情を勘案して自主的に決定するのに委ねられているのである。
本件踏切は、その東方からの展望は極めて良好であり、西方からの展望状況は、踏切から約百米西方の地点より大山駅にかけては、軌道が曲線をなしているけれども、右の地点から踏切に至るまでの軌道は直線であつて、事故発生当時、制動距離範囲内に於ける、電車運転台から踏切に対する展望は良好であり軌道と交叉する道路上(踏切の南側及び北側)から電車に対する見透しも、之を遮ぎる程の建築物、樹木等なかつたから、これ亦良好であつた。
一方右踏切に於ける人車馬の交通も原告のゆうように頻繁ではなく、板橋第七小学校の学童の利用も決して多くはなかつたのであり、即ち昭和二十四年十二月三十日本件踏切に於ける交通量の調査によれば、一日の交通量は、自動車四十四台、自転車五百十九台、諸車六十四台、歩行者六百九十六名であつて、之を所定換算率に従い、自動車一台を七人、自転車一台二人、諸車一台を五人として換算すると、延人員二千三百六十二名に過ぎない。例を東京都内の他社線にとつてみても、一日の交通量二千五百人以上でありながら、踏切警標以外他の保安設備のない所謂第四種踏切となつていたものが京浜急行に於て四ケ所、東京急行に於て七ケ所、小田原急行に於て二ケ所、西武鉄道に於て十ケ所もあつたのであつて、之等の諸例並に前記の展望並に交通量から考えれば、本件踏切につき原告の主張するような保安設備をなすべき義務はなかつたものというべきであり、被告会社には何等義務違反の点はない。被告が本件事故後、右踏切に警報機を設置したのは専ら列車運転の安全を期する為の自発的措置によるものであつて、本件事故が発生した為急速に設置したものでも、監督官庁の警告に基くものでもない。戦災前に於ては本件踏切附近は軌道の両側に人家が密集していたため、遮断機を設置していたが、戦災により密集家屋も遮断機も焼失し、踏切附近一帶は焼野原と化し、踏切に対する見透しを遮るものがなく、展望も良好となつたばかりでなく、建物の疎開もあつて交通量も激減したので、遮断機を設ける必要がなくなり、一時そのまま、放置していたのであるが戦後漸次交通量が増加する傾向を示して来たので、被告は将来に備えて列車運転の安全を期する為昭和二十三年十一月頃、東上線各踏切に警報機を設置する計画をたて、その実現に努めてきたが、資材が統制されている関係上その入手の困難と遅延とによつて遷延を余儀なくされ、昭和二十五年三月八日に至る迄、本件踏切に警報機を設置することができなかつたものである。
(三) 被害者慶子の死亡は、板橋第七小学校長の監督不十分に基因するものである。事故発生の当日同小学校に於ては、板橋劇場で上映中の映画「鐘のなる丘」による映画教室に参加させる為午前八時四十五分迄に参加生徒三百人を校庭に集合し、六名の教官が引卒して出発した。亡慶子等は集合時刻に遅れ、同人等が登校したときはすでに先生も生徒もいなかつたので、映画教室に単独で参加する為あわてて、上り電車の進行に注意せず本件踏切を通過せんとして不慮の事故を惹起したものである。学校側に於てはかゝる遅参者を予想し、特に一年生のような低学年の児童については引卒者を附する等適当の監視方法を講ずべきであつたのであり、事これに出なかつたため本件事故が発生したものであつて、被告会社には何等の責任はない。
(四) 以上の次第であるから原告の請求には応じ難いと述べた。<立証省略>
三、理 由
被告が東武電車を経営する会社であり、東上線がその経営路線の一つであつてその軌道施設が被告の占有、所有にかかるものであること、原告等夫婦間の三女宇賀神慶子が原告主張の日時、右東上線の大山駅東方の踏切軌道(大山駅からの距離について双方の主張は一致していないが、本件の判断には直接の関係がない)を南より北に横断せんとした際、原告主張の上り電車に衝突し、よつて同日死亡するに至つたことは当事者間に争がない。
而して当時右踏切に警報機、遮断機等の保安設備を欠除していたことはこれ亦当事者間争のないところであつて、若し右保安設備が施設せられてあつたとすれば、特別の事情なき限り、右慶子に於て軌道内に立入り電車に接触することはなかつたものと認むるのが相当であるから、右事故は右踏切の保安設備の欠除したことに基因するものと認めなければならない。
被告は、右事故の発生は板橋第七小学校長の監督不十分に基因するものであると抗争し、右慶子が本件踏切を横断せんとするに至つた事情は、原告に於ても之を争わないところであるけれども、たとえかような事情の下に、そして横断の際附添の教官がなかつたにせよ、右保安施設にして存したりとせば、特別の事情なき限り、慶子が右踏切軌道内に立入るものとは考えられないのであつて、校長の監督の必要の有無、その存否如何の審究を要しないものというべく、いづれにせよ右保安設備の欠除が右事故の原因たることに変りはないものといわなければならない。
よつて右保安施設の欠除が、いわゆる、土地の工作物の設置又は保存に瑕疵ある場合に該当するか否かの点を考えてみるに元来電車の軌道施設が土地の工作物たることは明らかであるところ、道路と交叉する踏切の軌道は踏切の保安施設と相俟つて当該踏切軌道の安全を保持し得るわけであるから、之を機能的に観察すれば、踏切の保安設備は、土地の工作物たる踏切の軌道と附属的に一体をなし、踏切の軌道と合し土地の工作物を形成するものというべく、被告の主張するように、保安設備に踏切看手の如き人力の介入を要するものがあつても、その結論に変りなきものと解するのが相当であつて、この点に関する被告の見解には組し難い。
従つて当該踏切にして保安施設を必要とするに拘らず、之が設置を欠除し、若しくは之が設置に瑕疵ありとせば、即ち、土地の工作物の設置又は保存に瑕疵ある場合に該当するものというべきであるから、進んで本件踏切に保安施設を設置するの必要があつたか否かの点を調べてみるに、宇賀神慶子が通行していた、本件踏切を通過する道路が幅員七米半、川越街道とピース道路をつなぐ、その附近にて南北に通ずる最大の道路なること、附近に板橋第七小学校が存在し(その多少の点はともかく)学童の通校にも使用せられていたことは当事者間に争がなく、検証の結果、証人小林貞蔵、板橋信幸、城石武市、原告宇賀神正作の各供述、成立に争のない甲第十一号証により昭和二十五年十一月初頃の撮影にかかるものと認められる(本件現場附近の写真たることに争のない)甲第七号証の一、二、三等を綜合して考えると、右踏切を通過する道路は、前記の如き位置幅員を有することと、且その後東方に東京都第四建設事務所が敷設した新道路も未着手であつた関係上、朝晩の通退勤、学童の通校等に相当使用せられ、車馬の往来も存し、所轄板橋警察署員に於ても保安設備の設置を相当と認めていたものであること、且その展望状況は、本件踏切より東方は概ね良好ではあるが、西方は、右踏切より百二十米余略直線の軌道となつているものの(それから西方には大山駅にかけて曲線の軌道となつている)、その両側には人家も散在し、南側はやや高く、踏切の西南にあたる角地には、当時上り電車の東進を見透すのに障碍となる樹木が存していたこと等を認め得る(右認定に牴触する証人森島房五郎、鈴木卯五、目黒精一の証言部分は採用しない)のであつて、これら諸般の事情により考えると、本件踏切には保安施設の設置を必要としたものと認めるのが相当である。被告は踏切に於ける保安施設の要否は鉄道企業者の自主的見解に委せられているものであり、本件踏切には保安施設の必要がなかつたものであると縷説するけれ共、踏切に於ける保安施設の実施が鉄道企業者の経理上、採算上の見地から考慮せられるのはともかく、その施設の要否の如きは之が自主的見解に委すべきものではなく社会観念によつて決すべきものであつて、仮に他の社線に於ける保安設備の施設状況が被告の挙げるが如くであり、被告の見解がこれと同一なりとしても之によつて、本件踏切に保安施設の必要なきものとすることはできないのであり、被告の主張は採用することができない。
されば、本件踏切に保安設備の施設が欠除していた以上、いわゆる土地の工作物の設置に瑕疵あるものというべく、被告は右工作物の占有者且所有者たる以上、右保安施設の欠除によつて生じたる損害をその被害者に賠償すべき義務あるものといわなければならない。
よつてその損害の有無並に数額につき審究するに、原告スイは原告正作の妻で、慶子が原告夫婦間の三女(板橋第七小学校一年生で当時満七年六月)であつたことは当事者間争がなく、原告宇賀神正作の供述及び右供述により真正な成立の認められる甲第二乃至第六号証によれば、原告正作は慶子の右事故による負傷並に死亡の為、当時医療費八千六百円、葬儀に関する諸費用六万八千六百九十円、合計七万七千二百九十円を支出し、同額の財産上の損害を被つた事実を認め得べく、且又成立に争なき甲第九、十号証及び原告両名の本人訊問に於ける供述によれば、原告宇賀神正作は東京都近傍の業者の組織せる昆布組合の理事長をなし、現住家屋の外王子方面に二百八十坪余の土地を所有し相当の生活を営んでいるものであるが、亡慶子は原告両名間の三人の子女の内幼少の末子で、学校の成績は極めて優秀、性質も快活温順であつたので殊の外原告両名に於て寵愛しその成育を楽しんでいたものであることは認め得べく、本件事故によりその掌中の玉を失つた原告両名が、よつて被つた愛惜憂悶の情、その精神上の損害も亦推測に難くないところであつて、之が慰藉料は、以上諸般の事情を斟酌し原告各自に対し、金五万円を以て相当と認める。被告は先にも述べたように、本件事故は小学校長の監督不十分に基因するものであると主張し小学校長は就学中の児童の監督義務を有するものというべく、本件に於ける遅参者たる宇賀神慶子が軌道を横断するに際し特別の措置を講じなかつたことは、監督義務を尽さない憾がないではないが、かかる監督義務者の過失は被害者たる原告の受くべき損害賠償額の算定に斟酌すべきものでないというべきである。
よつて被告は原告正作に対し、以上財産上の損害金及び慰藉料合計金十二万七千二百九十円、原告スイに対し慰藉料金五万円、並に各之に対する不法行為の後たる昭和二十五年十一月二十七日から完済迄民法所定年五分の割合の遅延損害金を支払うべき義務あるものであつて、原告の本訴請求はこの限度に於て正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、民事訴訟法第九十二条、第百九十六条を適用し主文の如く判決する。
(裁判官 北村良一)